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山本耕史

山本耕史 1976年10月31日生まれ B型
2005年、エランドール新人賞、ギャラクシー賞月間賞(04.05月度)・同年間奨励賞、2004年ザ・テレビジョン・ドラマアカデミー助演男優賞 ほか
(撮影 林義勝)

山本耕史公式サイト



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2006年12月26日 (火)

【アマデウス・ブログ番外編】天国のモーツァルトより(2)

こんにちは天国のモーツァルトです。
ぼくの最愛の妻コンスタンツェは、
晩年をザルツブルクで過ごしました。
そこはぼくの生まれ故郷でもある訳ですが、
ぼくの死後ザルツブルクがどうなったかっていうと、
これがまたぼくの人生並みに波瀾万丈なんですよ。
まず19世紀になってすぐフランスからナポレオンが攻め込んできて、
征服されてしまいます。
ナポレオンは大司教の宮廷支配をやめさせたので、
当時ザルツブルクにいたコロレド大司教はウィーンに逃亡するんです。
まあコロレド大司教とぼくは折り合い悪くていろいろありましたけど、
そんなことになるなんて、なんかちょっと同情しちゃいましたよ。
この時期ナポレオンがヨーロッパ中かき回したもんですから、
ぼくが旅して回った街はどこも戦争戦争で大変な騒ぎになっていました。
ザルツブルクもただの田舎町だったのがいっそう寂れて、
もうすっかり活気をなくしてしまいました。
自分の故郷がそこまで寂しい街になってしまうというのは辛いものです。
そうしたらぼくのことを思い出して奮起したひとがいて、
地元の新聞にぼくを奉りあげて街を盛り上げよう!って投書をしたんです。

モーツァルト広場(ザルツブルク)

それがきっかけでザルツブルクにぼくの像が建ち、
ぼくの名前のついた広場ができました。
1842年にコンスタンツェが亡くなってからすぐのことです。
こういうことで故郷のお役に立てるならぼくも本望ですよ。
父と最愛の妻が眠る街がぼろぼろじゃあ困っちゃいますから。
このときぼくの像の除幕式の式典で、
四男フランツ・クサーヴァーがぼくのピアノ協奏曲を、
もう72歳になった次男カール・トーマスがぼくのピアノ曲を演奏しました。
ぼくが生きてりゃ自分で弾くんですけどね!
これがきっかけだったと思いますが、
この後ザルツブルクは音楽の街として、
世界中からお客さんが来て賑わうようになりました。
ぼくがいた頃はなんもないつまんないところだったんだけどなあ。

第202回 12月26日(火)放送

2006年 12月 26日 |

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