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山本耕史

山本耕史 1976年10月31日生まれ B型
2005年、エランドール新人賞、ギャラクシー賞月間賞(04.05月度)・同年間奨励賞、2004年ザ・テレビジョン・ドラマアカデミー助演男優賞 ほか
(撮影 林義勝)

山本耕史公式サイト



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2006年9月29日 (金)

父が

こんにちはモーツァルトです。
ちょっと前に、
ぼくは死とすっかり慣れ親しんでしまいました、
なんて書いてましたよね。
でもいまはとてもそんな風に思えません。
父が亡くなってしまいました。

聖セバスティアン教会(ザルツブルク)

ひとはいつか必ず死を迎えます。
父の具合が思わしくないと聞いてから、
覚悟はしていました。
でもいまはもう胸が張り裂けそうです。
ぼくは小さい頃から、父と一緒に、
ずいぶんいろいろなところへ旅しました。
すべてぼくの才能を広く知らしめるためです。
ぼくが音楽家としていいチャンスに恵まれるように、
と父はいつも考えてくれていたのでしょう...
そんな父をぼくは失ってしまいました。
いまはただ辛く悲しい気持ちでいっぱいです...

1787年5月  第140回 9月29日(金)放送

2006年 9月 29日 | | トラックバック (0)

2006年9月28日 (木)

相変わらず弦楽五重奏

こんにちはモーツァルトです。
父の病状が心配でなりません。
姉のナンネルが時々ザルツブルクまで行って、
父の様子を見てくれているんですが、
思うように回復してないようなんです。
結局ぼくには何にもできないんで、
いまはただ作曲に励むのみです。

マカルト広場の家(ザルツブルク)

相変わらず弦楽五重奏ばっかり書いてます。
この前できたハ長調のやつは、
ハイドン先生と時々一緒に演奏するんですけど、
そういうときは一瞬いろいろなことを忘れられて、
いまのぼくにとっては貴重な、
幸せなひとときです...

1787年5月    第139回 9月28日(木)放送

2006年 9月 28日 | | トラックバック (1)

2006年9月27日 (水)

お引っ越し

こんにちはモーツァルトです。
突然ですけど引っ越ししました。
2年半住んだまえの住まいは快適でしたし、
いい思い出もたくさんあります。
...なんですけど、引っ越ししたんですよ。
理由はまあいいじゃないですか。
今度の住まいはウィーン郊外で、
ラントシュトラーセというところです。
ぼくが子どものときに、
ちょっといたことがあるところなんです。
街の中心からはちょっと離れちゃうんですけどね。

ラントシュトラーセ

閑静な住宅街、ってやつでしょうか、
ここはここで静かないいところですよ。
なんてったって家賃が安い!
安いですから!

1787年4月   第138回 9月27日(水)放送

2006年 9月 27日 | | トラックバック (0)

2006年9月26日 (火)

弦楽五重奏書きたくなっちゃいました

こんにちはモーツァルトです。
なんか急に思いついて弦楽五重奏の曲を書いてます。
普通は弦楽四重奏っていうのが多いんですけど、
何でかっていうと、弦が4本だと、
高・中・低音のバランスがとりやすいんです。
そこに1本弦を足すととたんに作曲が難しくなるんですよね。
でも弦五って、感情の起伏を盛り込みやすいような気がします。
最近いろいろありましたから、
それで弦五が書きたくなっちゃったのかも。

ベートーヴェンとモーツァルト

そういえばこの前、
またひとり将来有望そうな若者がぼくを訪ねて来たんですよ。
なんかまだ16歳とかで、
ぼくのことをものすごいリスペクトしてますって感じで、
ちょっと気恥ずかしかったですけど、
まあぼくをそこまで尊敬できるってことは、
なかなかいい音楽家になるかもしれないな。

1787年4月   第137回 9月26日(火)放送

2006年 9月 26日 | | トラックバック (1)

2006年9月25日 (月)

どうして楽しいことって

こんにちはモーツァルトです。
どうして楽しいことって長続きしないんでしょう。
ぼくの親友ハッツフェルト伯爵が、
今年の1月に突然の病で亡くなってしまったんです。
それでぼくは彼を悼んでひとつのピアノ曲をつくりました。
彼はちょうどぼくと同じ31歳でした。
ぼくたちは死を避けて通ることができません。
この数年来ぼくは、この人間の最上の友と、
すっかり慣れ親しんでしまいました。

ハッツフェルト伯爵

そして悪いことって続くものです。
父が病に倒れてしまったのです。
ちょっと前から胸や頭の痛みに悩まされていたのですが、
ここにきて相当悪くなってしまったようです。
...いくらぼくでも、
音楽で父の病を治すことはできません。
ひょっとしたらできるかな?

1787年4月 第136回 9月25日(月)放送

2006年 9月 25日 | | トラックバック (0)

2006年9月22日 (金)

歌姫よさようなら

こんにちはモーツァルトです。
プラハではちょっと浮かれてウィーンに戻ったら、
残念なことがありました。
フィガロの結婚」の初演時に、
ヒロインのスザンナを歌ってくれた人気ソプラノの、
ナンシー・ストーラスが、
ウィーンを離れることになったんです。
あれほどの才能で人気もすごかったのに、
なんでも皇帝ヨーゼフ2世の後ろ盾がなくなっちゃったとか...
所詮ぼくら音楽家はスポンサー命ですからね。
なんか切なくなっちゃいました。
ナンシーの送別演奏会では、
ぼくも渾身の一曲を彼女に捧げましたよ。

モーツァルトの自作目録に記された言葉「ストーラス嬢とぼくのために」

でもそれが彼女とぼくの最後の共演になってしまったのですから、
いい曲ができても複雑ですけどね...

1787年2月 第135回 9月22日(金)放送

2006年 9月 22日 | | トラックバック (0)

2006年9月21日 (木)

プラハやられました

こんにちはモーツァルトです。
プラハの貴族でヨハン・パハタ伯爵って方がいるんですけど、
今回知り合ってまあ仲良くさせていただいていた訳です。
となると、お決まりで作曲のご依頼ですよ。
もちろんお仕事いただくのはありがたいんですけど、
もうプラハ楽しすぎで、
毎日宴会モードだったもんですから、
曲を書く時間がなかったんですよね。
いや、申し訳ないとは思いつつ、
毎晩楽しい催しがやってきてしまうんですもの。
仕方ないですよね。
そしたらなんと、
パハタ伯爵って方もなかなか考えた訳ですよ。
ぼくを食事に誘ってくださったんで、
いやあまた今夜も楽しいことになっちゃうな〜、
とか思って出掛けていったんですよ。

パハタ伯爵邸(プラハ)

そしたら他の客が誰もいなくて、
なんか五線紙とペンとインクが置かれた机のある部屋に、
閉じ込められたって訳ですよ。
いやああれは参りました。
そうでもしなきゃ書かないって思われたのは癪ですけど、
実際そうだったんで何とも言えませんよね。
でもその時1時間で書いたこの曲
結構いいんで聴いてみてくださいね!

1787年1月 第134回 9月21日(木)放送

2006年 9月 21日 | | トラックバック (3)

2006年9月20日 (水)

プラハいい感じです

こんにちはモーツァルトです。
プラハでは、ぼくが自分で「フィガロの結婚」を指揮しましたが、
ほかにもぼくの演奏会を開いたんです。

この時の会場だったスタボフスケー劇場(現在はエステート劇場)

そのときは新しい交響曲を初演したり、
ぼくがフォルテピアノを弾いたりしたんですが、
これがびっくりするくらいひとが来たんですよ!
まあ、そのときはプラハ1の大ヒット曲の作曲家でしたから、
有名人見たさのお客さんもいっぱいいたとは思いますが、
演奏会はとんでもなく盛り上がりました。
お客さんはもちろん「フィガロの結婚」の曲をリクエストしてきましたので、
アリア「もう飛ぶまいぞ この蝶々」のメロディを使って、
変奏曲を即興で弾いちゃったんですよ。
うっかり調子に乗っちゃって30分も弾いちゃったんですけど、
お客さんは大喜びしてくれたし、
新聞も好意的な評を書いてくれたんで、
まあオッケーかな。
ついでにギャラもいっぱいもらっちゃいました!

1787年1月 第133回 9月20日(水)放送

2006年 9月 20日 | | トラックバック (0)

2006年9月19日 (火)

プラハでちょっと元気になりました

こんにちはモーツァルトです。
年が明けてもぼくの気持ちは沈みがちでした。
そんななか、プラハから招待状が届いたんです。
何でもぼくのオペラ「フィガロの結婚」が、
大ヒットしているから来てくれって。
それでぼくは妻と行くことにしたんです。
こんなふうに夫婦でゆっくり旅行するなんて、
全然できなかったですしね。
そうしたらプラハでは本当に「フィガロの結婚」が大ヒットしていて、
街中どこにいっても「フィガロ」のメロディが聴こえてくるんですよ。
これには大いに励まされました。
音楽好きの貴族の方々が宴会を開いてくれたり、
クレメンティヌムっていう、
文化施設みたいなところで開かれる舞踏会に呼ばれたり、
特にこの舞踏会にきた女性が、
これがものすごい美人ばっかりなんですよ。

クレメンティヌム(プラハ)

そんなひとたちがぼくの「フィガロ」のメロディにのって、
歌ったり踊ったりしているのを見ていると、
すっかりうれしくなってしまいました。

1787年1月 第132回 9月19日(火)放送

2006年 9月 19日 | | トラックバック (0)

2006年9月18日 (月)

一番嬉しいことと悲しいこと

こんにちはモーツァルトです。
生きているあいだに一番嬉しいこと、
一番悲しいことって何なんでしょう。
ぼくはこの2ヶ月くらいの間に、
その両方を知ってしまったような気がします。
正直思い出すのも辛いことですが、
大事なことですので皆さんにお知らせしなくてはなりません。
きっと人生で一番嬉しいこと、
それは自分のこどもが生まれることなんじゃないでしょうか。
この10月にぼくの3人目のこどもが生まれたんです。
嬉しさのあまり、
ぼくはその三男に父の名前を借りて、
ヨハン・トーマス・レオポルトと命名しました。
ぼくは幸せいっぱいで、
新たなピアノ協奏曲の作曲に取りかかっていました。
...そしてきっと人生で一番悲しいこと、
それは自分のこどもが亡くなることなんじゃないかと思います。
生まれてわずか1ヶ月で、
ぼくの三男ヨハン・トーマス・レオポルトは急死してしまいました。

ヨハン・トーマス・レオポルトの葬儀が行われたシュテファン大聖堂(ウィーン)

いまはもうこれ以上何も書くことができません。
よかったらそのときに手がけていたこの曲を、
聴いてみてください。
この数ヶ月のぼくの感情の起伏が、
すべてこの曲に込められているように思えてならないのです...

1786年12月 第131回 9月18日(月)放送

2006年 9月 18日 | | トラックバック (0)

2006年9月15日 (金)

アマチュア向けは難しい

こんにちはモーツァルトです。
ぼくの生活費の源は演奏会とかピアノの先生とか、
いろいろあるんですけど、
作曲した曲の楽譜が売れる、
ってことも非常に大事なんです。
ですから出版業者の方とは仲良くしないといけないんですけど、
ぼくはホフマイスターさんっていう出版社さんと、
おつきあいしてたんです。

ホフマイスター社跡

で、あるときアマチュア向けの楽譜を出版したいから、
そういう曲を書いてくれって頼まれたんですよ。
やっぱり誰でも演奏できる曲じゃないと売れないですからね。
それはよくわかってるんですけど、
やっぱりぼくが書くとゲイジュツ的な曲になっちゃうんですよ、
これが!
だってしょうがないじゃないですかねえ、
ぼくが書くんですから。
ということできみの書いた曲は難しすぎて売れないから、
って途中で契約を切られちゃったんです。
おつきあいがなくなっちゃうと困っちゃうんで、
ちょっと頑張って弦楽四重奏をお詫びに書いたんですよ。
これがなかなかの評判になったんで、
何とかおつきあいが続きそうです。
いやあ商売って大変ですよね!

1786年8月 第130回 9月15日(金)放送

2006年 9月 15日 | | トラックバック (0)

2006年9月14日 (木)

ジャカン家は和みます

こんにちはモーツァルトです。
ウィーンにはぼくと割りに年も近い親友がいまして、
ジャカンさんっていうオランダ人一家の子供たちなんです。
このジャカンさんって、植物学者なんですよ。
家に行くとなんだかよくわからない植物がいっぱいあるんです。

ジャカン邸跡は現在ウィーン大学植物学科のキャンパスとなっている

で、ぼくはそこの息子のゴットフリートっていうのと、
仲良しになったんですよ。
年が近いっていっても7つ下なんですけどね。
彼はアマチュアなんですけど、
なかなかのバス歌手なんです。
ですから彼のために何曲か歌曲を書きました。
すごい下手だと嫌になっちゃいますけど、
結構上手いですからね、彼は。
で、ゴットフリートと遊んでいるうちに、
彼の弟と妹とも仲良くなって、
すっかり楽しくなっちゃった、ってわけなんです。
そうそう妹は、前にぼくのピアノの生徒だったんですよ。
だからジャカン家で、
よくみんなで演奏会やったりしてます。
彼の家に遊びに行くと、
なんか和んじゃうんですよね。

1786年 第129回 9月14日(木)放送

2006年 9月 14日 | | トラックバック (0)

2006年9月13日 (水)

チーズを買うならロイトゲープの店で

こんにちはモーツァルトです。
前にぼくの親友で、
ものすごいホルン奏者がいるって書いたじゃないですか。
ロイトゲープっていうんですけど。
親友っていうと、フツウ年が近いですよね。
でも彼、ぼくより24歳も年上なんですよ(笑)
下手すりゃオトンな年ですよね!
だから親友とかいっちゃいけないのかもしれないんですけど、
でも親友なんでしょうがないですよね。
彼はもともと、ザルツブルクの宮廷楽団員で、
ぼくが小さいころから知り合いだったんです。
その後ぼくも宮廷楽団員になりましたので、
同僚ということになりまして、
親友になったって訳です。
彼はぼくより先にウィーンに移り住んでいたんですが、
ぼくもウィーンに来ちゃったんで、
最近また合流してるんですよ。
で、彼はこっちで、
チーズ屋をやりながら演奏活動してるんですけど、
そのチーズ屋を開く時にぼくの父から借金してるんです。

ウィーンのチーズ店

そんでまあ、あんまり儲かってないんで、
全然返せてないらしいですから、
ぼくが父にちょっと待ってやってください、
ってお願いしたりしてるんです。
かわいそうなんで、なんか助けになればと思うんですけど、
ぼくにできることっていえば、
彼のためにを書くことくらいなんで...
みなさんも彼のチーズ屋でチーズ買ってやってくださいね!

1786年6月 第128回 9月13日(水)放送

2006年 9月 13日 | | トラックバック (0)

2006年9月12日 (火)

デキる弟子は楽しい

こんにちはモーツァルトです。
実はぼく、ひとに教えるっていうことが結構好きみたいなんです。
それで実際に何人か弟子がいるんですけど、
いま、結構キてるのが一人いるんですよ。
まだ21歳なんですけど、
イギリス出身のトーマス・アットウッドってやつなんです。

アットウッドの練習帳

こいつがナポリで音楽留学したあと、ぼくのところに作曲の弟子にしてくれって来たんですけど、
なかなかのもんなんですよ。
正直、ろくでもないやつが来ると困っちゃうんですけど、
こういうデキるのが来ると、
ぼくもやる気になっちゃうんですよね。
教えてるとどんどん伸びるんで一緒にいて楽しいですし、
つい一緒に遊びに行ったりしちゃうんですよ。
きっと彼は一人前の音楽家になるだろうな。
ぼくほどじゃないとは思いますけど!

1786年6月 第127回 9月12日(火)放送

2006年 9月 12日 | | トラックバック (0)

2006年9月11日 (月)

イドメネオ再演

こんにちはモーツァルトです。
この前、ちょっと嬉しいことがありました。
ぼくがウィーンに来るちょっと前に作って、
ミュンヘンで初演したオペラ「「イドメネオ」が、
ウィーンで再演されたんです。
...といっても、アウエルスペルク侯爵のお屋敷で、
貴族の皆さんが歌ったり演奏したりして上演したので、
プロの公演とはちょっと違うんですけどね。

アウエルスペルグ宮殿

でも「イドメネオ」は、
ぼくがザルツブルクを離れたい、
と強く思うきっかけにもなった作品ですし、
自分でも気に入っていましたので、
ぜひウィーンでも上演したいと思っていました。
ですから、アウエルスペルク侯爵から、
自分たちで上演したいので、
演奏できるように手を入れて欲しい、
って依頼されたときは嬉しかったですよ!
指揮はもちろんぼくがやらせてもらいました。
どっかの大きい劇場でちゃんと上演してくれないかな...

1786年3月 第126回 9月11日(月)放送

2006年 9月 11日 | | トラックバック (0)

2006年9月 8日 (金)

「フィガロの結婚」のおかげです

こんにちはモーツァルトです。
まあこれまではいろいろとやんちゃなことも多々ありました。
そんなぼくももう30歳になりました。
ぼくの30代の幕開けが、オペラの大成功で始められたというのは、
大いに喜ばしいことです。
だってぼくは、本格的なオペラがやりたくて、
上司のコロレド大司教とけんかして、
ウィーンに出て来たのですから。
そのオペラっていうのは、
このブログでもいままで何度か書いてきましたが、
フィガロの結婚」のことです。

ミヒャエル広場(ウィーン)当時ブルク劇場はこの場所にあった

これがウィーンではいろいろとぼくを快く思わない人たちに妨害されたり、
好評な割には早く上演打ち切りになったり、
まあいろいろあったわけですが、
プラハでびっくりするような大成功をおさめて、
ぼくにとってはほんとうにいい励みになりました。
正直ウィーンの生活は、
人間関係が複雑だったり生活に追われたり、
結構しんどいことも多いんですけど、
「フィガロの結婚」が大ブレイクしたおかげで、
またウィーンに出て来たときのような、
ポジティブな自分を取り戻せたような気がします。

今からでも間に合う毎日モーツァルト (総集編第5回)9月8日(金)放送

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2006年9月 7日 (木)

家族だから

こんにちはモーツァルトです。
結婚してから1年ちょっとして、
ぼくは愛する妻コンスタンツェを連れて、
ザルツブルクに帰郷しました。
コンスタンツェと結婚できたらミサを書くって誓いを立てていましたし、
なんといってもぼくの家族にコンスタンツェを会わせたかったからです。
ミサの演奏ではかつての宮廷楽団の仲間もかけつけてくれて、
とても幸せでしたよ。
そしてその次の年には、
ぼくの姉ナンネルが結婚することになったんです。
相手がザンクト・ギルゲンの地方管理官だったので、
ぼくは遠くて結婚式に参列できなかったのが残念だったんですが...
その翌年、1785年の冬には、
ぼくの父がはじめてウィーンにやってきました。

モーツァルトハウス(ウィーン)

父はぼくがちゃんとした住まいでちゃんとやっていることにとても驚いたみたいです。
それでちょっとはぼくのことを見直してくれたでしょう。
ウィーンで父は旅の疲れからか、
体調を崩してしまうんですが、
そのときにコンスタンツェの妹、
ゾフィーが手厚く看護してくれたおかげで、
父のヴェーバー家に対する思いもだいぶ変わったようです。
ちょっと時間はかかりましたけど、
やっぱり家族だからでしょうか...あんなにもめていたのに、
分かり合えるようになるものですね!

今からでも間に合う毎日モーツァルト (総集編第4回)9月7日(木)放送

2006年 9月 7日 | | トラックバック (1)

2006年9月 6日 (水)

板挟み

こんにちはモーツァルトです。
ウィーンでぼくはもうコンスタンツェなしでは生きていけない、
と思うようになっていました。
同じ名前のヒロインが登場するオペラを書いて、
大成功をおさめたりして、
ぼくの音楽活動も軌道に乗って来ていて、
そろそろコンスタンツェとの結婚を考え始めたんです。
それでいよいよ父に打ち明けたんですけど、
コンスタンツェのヴェーバー家が気に入らんっていって、
大反対な訳ですよ。
一方、コンスタンツェのお母さんは、
結婚しないなら交際を許さないって言うんです。
もうどうしろっていうんですか。
しょうがないんで、父を押し切って結婚しちゃいました。
当然結婚式には父も姉も来ませんでしたよ。

モーツァルトが結婚式を挙げたシュテファン大聖堂

結局は父もあとでオッケーしてくれたんですけどね。

今からでも間に合う毎日モーツァルト (総集編第3回)9月6日(水)放送

2006年 9月 6日 | | トラックバック (0)

2006年9月 5日 (火)

上司の次は父

こんにちはモーツァルトです。
というわけで上司とケンカ別れみたいな形になっちゃったんですけど、
それでもウィーンでやっていけることになったんで、
ぼくとしてはやる気満々だったんです。
そうしたら父から、
大司教に謝ってザルツブルクの職に戻してもらいなさいって手紙が来たんですよ。
せっかく息子が新天地でやる気出してるっていうのに、
そんな弱気な手紙送ってくるなんて、
もうぼくは情けなくなっちゃって、
父に文句の手紙送り返しましたよ。
まあ、親というのは子供の上司のことは気になるみたいですからねえ。
そしたら今度は、
ウィーンでぼくが下宿させてもらっていた家のお嬢さん、
コンスタンツェとつきあってるらしいって噂を聞きつけて、
またぎゃあぎゃあ文句の手紙を送って来たんです。
もう勘弁してください、ちょっとはぼくを信用してください、
って、また父へ文句の手紙を書きました。
実際コンスタンツェとはつきあってたんですけど...。
それでも、コンスタンツェの下宿から出なさいとか言って来たんで、
引っ越したりしましたよ。もううんざり...

グラーベン:モーツァルトが引っ越した建物があった場所

今からでも間に合う毎日モーツァルト (総集編第2回)9月5日(火)放送

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2006年9月 4日 (月)

ろくでなしとか若造とか

こんにちはモーツァルトです。
最近、このブログではこれまでのぼくのことを、
いろいろな切り口でお伝えしてきましたが、
来週からはいまのぼくのことを日々書き綴っていきたいと思います。
そこで今週は、故郷ザルツブルクを離れて、
ウィーンに来てからのことを振り返ってみましょう。
1781年、ぼくが25歳で、まだザルツブルクの大司教コロレドに仕えていたときのことです。
コロレドは貴族たちと交流するためにウィーンを訪れていました。
そういうときって、お抱えの音楽家を連れて演奏させるのがつきものなので、
そのときミュンヘンにいたぼくをわざわざウィーンに呼んだんですよ。
着いていきなり貴族たちを招いた演奏会を開いて、
ぼくはもちろんかり出されたんです。

コロレドが演奏会を開いたドイチェス・ハウス

ウィーンの貴族たちはぼくの演奏に大喜びだったんですけど、
コロレドはぼくが自分で演奏会を開くことは許してくれなかったんですよ。
でも何の気まぐれか、4月にぼくの演奏会をやっていいってことになって、
そこには皇帝ヨーゼフ2世も来てくださったんですけど、
大成功しましたので、
ぼくはますますウィーンで音楽活動を続けていきたくなっちゃったんです。
ですけどコロレドがザルツブルクに帰ってこいっていうので、
ぼくは嫌だなあ...と思ってるうちに衝突しちゃったんですね。
だって、今日中に帰ってこないと給料没収とかいうんですよ。
ろくでなしとか、若造とか、さんざんいわれて、
さすがのぼくもキレちゃいました。
それでぼくはウィーンで暮らすことになったんです。
上司とのつきあいっていろいろありますけど、
時には思い切った決断も必要ですよね。

今からでも間に合う毎日モーツァルト (総集編第1回)9月4日(月)放送

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2006年9月 1日 (金)

ホルンすごくないですか?

こんにちはモーツァルトです。
昨日はちょっとグチっぽい書き込みになっちゃいましたけど、
難しい楽器もうまく弾きこなせるひとがいると、
俄然ぼくも張り切って曲を作りたくなっちゃうんですよね。
で、ぼくの友達で、ロイトゲープっていうホルン奏者がいるんです。
こいつがものすごいんですよ。
だって、ホルンて、金属の管を巻いたやつの、
先っちょが広がってるだけの楽器なんですよ?

モーツァルトの時代のナチュラルホルン

これの先に手を突っ込んで、
その突っ込み具合と息の吹き込み方で音程を出すんです。
ムチャクチャ難しいですよね?
それがロイトゲープが吹くと、
完璧に音楽になっちゃうんですよ。
だからぼくも嬉しくて、
ホルンのためのコンチェルトを4つと、
ホルンのクインテット
を書きました。
これ、自信作なんで、ぜひ聴いてみてくださいね!

夏の特別編 モーツァルトと楽器(5) 9月1日(金)放送

2006年 9月 1日 | | トラックバック (0)



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