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山本耕史

山本耕史 1976年10月31日生まれ B型
2005年、エランドール新人賞、ギャラクシー賞月間賞(04.05月度)・同年間奨励賞、2004年ザ・テレビジョン・ドラマアカデミー助演男優賞 ほか
(撮影 林義勝)

山本耕史公式サイト



2006年12月29日 (金)

【アマデウス・ブログ番外編】天国のモーツァルトより(5)

こんにちは天国のモーツァルトです。
調子に乗ってずいぶん長居してしまいました。
そろそろお時間がやってきたようです。
今年たまたまキリのいい年だったので、
運良くみなさんにお会いできたのかもしれませんね。
どうかまたお会いできるときが来ますように...

そのときまでぼくをお忘れなく...!

ザルツブルク

それではみなさん、ありがとうございました。
さようなら。

第205回 12月29日(金)放送

『山本耕史とたどる モーツァルトへの旅』特別編(9)ウイーンにてインタビュー

8月6日

創業15世紀というウイーン最古のレストラン、グリーヒェンバイスルにて。

店内はいくつもの部屋に分かれ、「サインの間」にはなんとモーツァルトのサインもありますが、ニセモノという説も。

すべてのロケを終えてこのレストランでの昼食の合間にインタビューを行いました。


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2006年12月28日 (木)

『山本耕史とたどる モーツァルトへの旅』特別編(8)ザルツブルクにてインタビュー

8月4日

ザルツブルクの中心部にあるカフェ・トマゼリ。

1705年創業でモーツァルトも訪れたといわれるカフェでロケの合間の小休止中にインタビュー。この日の夜がオペラ「フィガロの結婚」の収録でした。

せっかくタキシードでビシッと決めたのに、なんと嵐が到来。
劇場外での撮影はキャンセル。ロビーでの撮影となりました。


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【アマデウス・ブログ番外編】天国のモーツァルトより(4)

こんにちは天国のモーツァルトです。
さて今回はぼくのあとの音楽家の皆さんからのお言葉をご紹介したいと思います。
正直同業者の皆さんなのでちょっと照れくさいんですけどね!

“常に私は自分をモーツァルトの崇拝者のひとりと考えています“
 “これは生涯変わることはないでしょう”

これはベートーヴェンくんのお言葉です。
彼はまだ少年のときぼくのところにきたことがあるんですが、
そのときもリスペクト光線出まくりでしたからね。
たいへんな病気になったり辛かったと思いますけど、
こんなに大成するなんて、ぼくもほんとうに嬉しいです。
彼がやっていることは、パパ・ハイドンやぼくがやっていたことから、
そうかけ離れてないですけど、いやなかなか凝ってますよ。
ちょっと暑苦しいときもありますけどね(笑)
最後の方の弦四なんてぼくも大好きですよ!

ヴォルフガング湖

“今日では私たちはもうモーツァルトのように美しくは書けない“
 “できるのは彼が書いたのと同じくらい純粋に書くよう努めてみることだ“

ブラームスさんのお言葉です。
このひとは相当苦労したようですけど、
ぼくやベートーヴェンの後じゃあそれも仕方ないですよね。
でもその苦悩や努力は大いに報われたのではないでしょうか?
クラリネットの曲なんてぼくも大好きですよ!

“私がこれほどモーツァルトを愛するのは—“
 “生の喜びが表現されている音楽に安らぎと慰めを求めていればこそです“

ピョートル・チャイコフスキーさんのお言葉です。
この方はぼくはそんなにわかりにくい曲を書いたとは思えませんけど、
ずいぶんひどい批判を浴びることが多かったそうですね...
ぼくも同業者からの妨害とか批判には苦しめられましたから、
お気持ちお察しします。
バレエの「くるみ割り人形」なんてぼくも大好きですよ!

“モーツァルトの旋律はすべて地上の姿かたちから解放され—“
 “死すべきものと不死のものの間を漂う“

リヒャルト・シュトラウスさんのお言葉です。
まさにいまのぼくの状況を言い当ててますね...お見事です。
このひとの曲ってよく演奏できるなー!と思ってしまいますけど、
それだけ演奏の技術や楽器が進歩したってことですよね。
でもそれに見合う見事な音楽をよくぞお書きになったと尊敬します。
オーボエ、ホルンの協奏曲なんてぼくも大好きですよ!

“モーツァルトは我々にとって力強い灯台のようなものであり—“
 “その光と熱から後継者たちの共通性が展開されるのです“

イーゴリ・ストラヴィンスキーさんのお言葉です。
この方の曲は最初ビックリしましたけど、
もう音楽どうこう超えておもしろいです。
曲はとても複雑に聴こえますけど、
思わず体が動きだしそうになるし、
いつのまにか旋律を口ずさんだりしてますよ!
時々これ同じひとの曲か?って思う曲がありますけど...
しかし、こういう複雑な方にもお褒めの言葉をいただき光栄です。
「ペトルーシュカ」なんてぼくも大好きですよ!

あ、そろそろお時間かな...?

第204回 12月28日(木)放送

2006年12月27日 (水)

『山本耕史とたどる モーツァルトへの旅』特別編(7)モーツァルトのピアノ

8月3日

ザルツブルクのマカルト広場に面したモーツァルトの家にて、実際にモーツァルトが所有していたピアノを特別に弾かせてもらいました。

ロケにギターを本当は持ってきたかったと言っていた山本さん。
楽器とみるとすかさず演奏しないではいられない様子でした。


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【アマデウス・ブログ番外編】天国のモーツァルトより(3)

こんにちは天国のモーツァルトです。
ぼくが死んじゃってからいろいろな著名人・文化人の方々がコメントを下さいました。
正直生きてるときにもっと褒めといてよ、って気もしますけど、
物事にはタイミングがありますからね、仕方ないです。
さてコメントをご紹介しましょう。

“モーツァルトのような現象はどうにも説明のつかない奇跡だ“
 “悪魔は人類をからかうためにときどき魅惑的な人物を生んでみせるのだ“
  “その悪魔が音楽の分野に生んだのがモーツァルトだった“

なんか喜んでいいのかどうか、微妙な感じがしますが...
これはぼくも大変尊敬していて、
詩に曲までつけさせていただいた文豪ゲーテのお言葉です。
あのゲーテがこう言うんですからきっと相当な褒め言葉なんでしょう!
ありがとうございます!

“天才の魂がこれほど裸で現れたことはなかった“
ええと、好き勝手やってたところが多々ありますから...。
フランスの文豪、スタンダールさんのお言葉です。
この方はまだ無名のときにぼくの伝記をわざわざ自費で出版してくれました。
こういう商売って若くて売れないときに何やっとくかって相当大事ですからね!
若き日の貴重な時間を使ってぼくの伝記を出してくれて、どうなのよって気もしますが...
 “私が生涯に本気で愛したのは チマローザ モーツァルト シェイクスピアだけである“
ここまで言って下さるのでしたら一度ご挨拶させていただきたかったですね...
長生きできなくて残念です...

神学の間

“不滅のモーツァルトよ!
        私の身に起こった一切のことは
               君のおかげなのだ“
“私が分別をなくしたのも
        私の魂が呆然としているのも—“
“私が生の歩みにおいて
        心を揺さぶられたのも
               みんな君のおかげなのだ“

...思わずすみませんって言ってしまいそうです...
こちらは実存主義で有名な、
デンマークの哲学者ゼーレン・キルケゴールさんからいただいたお言葉です。
でもきっとぼくのせいじゃないんじゃないかって気がするんだけどなあ...

“天使たちは神を賛美するときバッハを演奏するかもしれないが—“
 “彼ら自身のためにはモーツァルトを奏で 神も喜んでお聴きになるのは確かだと思う“

えっ神様のときは?天使が自分のためのときは?神も??
結局バッハとぼくと、どっちがどうなんだろうって一瞬考えてしまいますが、
まあ相手があの大バッハでしたら深く考えないことにしましょう!
こちらは20世紀を代表するキリスト教神学者カール・バルトさんのお言葉です。

こうしてぼくが死んでからも長い間、
皆さんにお褒めのお言葉をいただけるのは、
ほんとうにありがたいことだと思います。

第203回 12月27日(水)放送

2006年12月26日 (火)

【アマデウス・ブログ番外編】天国のモーツァルトより(2)

こんにちは天国のモーツァルトです。
ぼくの最愛の妻コンスタンツェは、
晩年をザルツブルクで過ごしました。
そこはぼくの生まれ故郷でもある訳ですが、
ぼくの死後ザルツブルクがどうなったかっていうと、
これがまたぼくの人生並みに波瀾万丈なんですよ。
まず19世紀になってすぐフランスからナポレオンが攻め込んできて、
征服されてしまいます。
ナポレオンは大司教の宮廷支配をやめさせたので、
当時ザルツブルクにいたコロレド大司教はウィーンに逃亡するんです。
まあコロレド大司教とぼくは折り合い悪くていろいろありましたけど、
そんなことになるなんて、なんかちょっと同情しちゃいましたよ。
この時期ナポレオンがヨーロッパ中かき回したもんですから、
ぼくが旅して回った街はどこも戦争戦争で大変な騒ぎになっていました。
ザルツブルクもただの田舎町だったのがいっそう寂れて、
もうすっかり活気をなくしてしまいました。
自分の故郷がそこまで寂しい街になってしまうというのは辛いものです。
そうしたらぼくのことを思い出して奮起したひとがいて、
地元の新聞にぼくを奉りあげて街を盛り上げよう!って投書をしたんです。

モーツァルト広場(ザルツブルク)

それがきっかけでザルツブルクにぼくの像が建ち、
ぼくの名前のついた広場ができました。
1842年にコンスタンツェが亡くなってからすぐのことです。
こういうことで故郷のお役に立てるならぼくも本望ですよ。
父と最愛の妻が眠る街がぼろぼろじゃあ困っちゃいますから。
このときぼくの像の除幕式の式典で、
四男フランツ・クサーヴァーがぼくのピアノ協奏曲を、
もう72歳になった次男カール・トーマスがぼくのピアノ曲を演奏しました。
ぼくが生きてりゃ自分で弾くんですけどね!
これがきっかけだったと思いますが、
この後ザルツブルクは音楽の街として、
世界中からお客さんが来て賑わうようになりました。
ぼくがいた頃はなんもないつまんないところだったんだけどなあ。

第202回 12月26日(火)放送

2006年12月25日 (月)

【アマデウス・ブログ番外編】天国のモーツァルトより(1)

こんにちは天国のモーツァルトです。
なんでブログ書いてんだよ!って??
まあいいじゃないですか。
まだ今年はちょっと残ってますし、
もうちょっとこっちにいさせて下さいね...。

ぼくが亡くなってから、
早速プラハの人たちが大規模な追悼ミサをしてくれました。
さすがにプラハの人たち、ありがたいことです...
気の毒に未亡人となってしまった最愛の妻コンスタンツェは、
ぼくの生前に出版されなかった楽譜を売って、
借金を完済してくれました。
それだけじゃなくって各地で演奏会を開いて、
ぼくの作品の普及に尽力したり、
未完の作品の補筆完成にも力を注いでくれました。
そういう才能があるならもっと早く発揮してくれればよかったのに、
ってちょっと思いますけど、
きっと彼女も取り残されてしまって必死だったのでしょう...。
そんな彼女も、めでたく再婚を果たします。
再婚相手はゲオルグ・ニコラウス・フォン・ニッセンというデンマークの外交官で、
ぼくの熱烈なファンの方でした。

ゲオルグ・ニコラウス・フォン・ニッセン

ニッセンはコンスタンツェの話をもとにぼくの伝記をまとめてくれたので、
それがぼくの手紙を紹介した最初の重要な文献となりました。
都合の悪いところは要領よく削除してくれましたしね!
彼がこの作業をしてくれてラッキーでしたよ。
コンスタンツェはきっと幸せな人生を送ったのでしょう。
ぼくと違って80歳まで長生きして、
最後はぼくの父レオポルト、夫ニッセンと同じ墓に埋葬されました。
これはちょっと羨ましいかな。
なんたってぼくは聖マルクス墓地のどこに誰と埋められたのか、
わかんないんですからね!
ぼくには2人の息子がいましたが、
音楽をやったのは四男のフランツ・クサーヴァーの方で、
次男のカール・トーマスは手堅くミラノの役人になりました。
四男フランツ・クサーヴァーは、
アマデウス2世を名乗って演奏旅行をしたり、
作曲をしたり、まあそれなりに活躍しましたよ。
でも、この2人とも、結婚しなかったんで、ぼくの家系は途絶えてしまいました。
なんで結婚しなかったんだろう?できなかったのかな??

第201回 12月25日(月)放送

2006年12月24日 (日)

『山本耕史とたどる モーツァルトへの旅』特別編(6)ザルツブルク大聖堂前にて

8月1日

ザルツブルク大聖堂前の広場には、オーストリア名物の馬車が何台も観光客お目当てに待機しています。匂いもなかなか強烈です。

この日は夕方6時半から大聖堂で「レクイエム」の演奏と収録がありました。その前のつかの間の自由時間に、山本さんは馬をなでなで。

猫を飼うなど普段から動物好きな山本さん。ひときわ優しい表情をみせてくれました。


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2006年12月23日 (土)

『山本耕史とたどる モーツァルトへの旅』特別編(5)ザルツブルクに向かう車にて

8月1日

7月31日にウイーンから5時間かけてバスでザルツブルクに入りましたが、山本さんが、「毎日モーツァルト」でおなじみのザルツブルクの風景に触れたのは翌日のことでした。
ザルツブルクのホテルは車で15分ほど郊外にあるアニフという小さな町にあったのです。

このインタビューは山本さんが初めてザルツブルクの街を目にしたときのものです。


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